僕らはどこへ行こうとしているのだろう?
それは浄土・天国に間違いありません。人類がずっと望んできたのですから。来世やあの世にあると言われてきましたが、ついに現代に出現したと(僕らの旅1)で書きました。ようやくPromised landに辿り着いたと喜びに満ちているかと思うと、どうやらそうでもない。むしろ世界はどんどん悪くなっていくと捉えているフシもあります。そこは深い霧に包まれていて、今ここにあるのにも拘らず認識するのがとてつもなく難しい。なぜなら今、世界中で起きているあらゆる問題を解決するための思案がそもそもの第一歩で解決に向かわないというパラドクスに陥っているからです。前回書きましたが(僕らの旅2)、自分で問題を引き起こしているのに、誰かを悪者に仕立てることから思案が始まる。常に他罰的で自己責任を負わない態度、これが全てを深い霧の中に閉じ込めてしまいます。正義を始めとした強い言葉はただ単に二項対立を生んで解決を遠ざけるだけの陳腐なものに成り下がっています。それはインターネットの登場で様々なレイヤー(階層)が産まれ世界の認識が複雑になっていることも助長していると思います。日を追うごとに複雑性は増し、同じ思考の枠組み(パラダイム)では解決を望むことはできないでしょう。それくらい現状のパラダイムにバグが起きているということです。

もう一度ここで思い出したいのは、七年ほど前に流行ったハンス・ローリング著「Factfulness」、あるいはスティーブン・ピンカー著「21世紀の啓蒙」などで語られた、世界は相応に豊かになっていて、犯罪、戦争、伝染病、飢餓など人類を脅かしてきた出来事が明らかに少なくなっているのに(ここに個人の自由度が増したことを追加したい!)、メディアは常に悪い方の情報を提供し、それは人間の脳を刺激するのか、その視点で世界を解像するというある種の病に陥ってしまうというもの。科学的に世界はとてつもなく豊かになっているのに、そこに目を向けない。そして確証バイアス。自分が知りたい、見たい情報だけをネットサーチしてそのエコーチェンバーの中で情報を泳いでいる多くの人たちがどうして全体の正義を語れるのだろうか?
現状のままでは問題は複雑性を増しカオスまっしぐら。しかし同時並行でpromised land がそこにある、、、
ここの扉を開けることに現代を生きるもののチャレンジがあると思います。この現状を見て、世紀末が来るようなあおりも止めときましょうね。これも他責思考。自分が変わらずに他の力に頼るだけでは何ら解決に結びつかないのはアセンションや去年の7月5日で見てとれました。
自らが変わるということです。

ここからは自分なりに解決にむけて書いていきます。
世界的にリベラリズムが崩壊の兆候を見せている中、リベラリズムの真骨頂、「公平性」がカギとなると見ています。
「平等」については言葉の軽さと言うか、多種多様な現実の世界では矛盾をはらんでしまいますが、公平性においては人間の知恵が発揮されると思います。主体を離れて客体から覗いてみる視点、そこから得られる思考が人間特有のもので進化の一助になったに違いないからです。
それを踏まえたうえで未来を覗いてみましょう。これも誰も語ってくれないのですが、AIとロボティクスが進化していく上で人類はどこに到達しようとしているのか?どういう姿になるのか?自分の拙い情報から、その世界を想い描くならば、人間はますます動かなくなります。快楽をさまよい、不快を出来る限り排除します。お金があれば寿命を延ばすことも技術は成しえるでしょう。ソファーに座ってVRに入り浸る、、、
そもそもそんな世界観を望んでいるのか(もちろん自分の想像ではありますが)ね?
ここで公平性を持ち出してみます。
ありとあらゆる生物との比較です。簡単な問いです。
人間だけがあらゆる生物、生命の営みから逸脱して、そこまでの快楽や不労を得ることは正しいのか?そもそも大自然からの恩恵は人間だけにあるのか?
人間が万物の霊長だと言われてきたことのおごりが拡大して、ついに自然の法則を乗り越えようとしています。
このあまりにも拡大した不公平性に私は反旗を掲げます。
といっても、そこで二項対立的な立場を取って元の木阿弥にならないよう気をつけますが。
その解決の根本原理も単純です。土と身体から離れない。おのおの自然から得られるものを生産する。これに尽きると思います。多くの人が農や漁に回帰し、難しいことですが必要以上のテクノロジーを全生物との公平性という観点から受け取らなければいいのです。新自由主義は個々のアイデンティを広げ、意識の自由度を広げましたが、反面、個人主義が台頭して全ては個人がお金でもって解決するという能力主義を生み出しました。科学的に進化を紐解けば人類の発展は助け合い、ひいては利他の精神が備わっていたからこそなのに、近年、全く違った行動原理を生み出しています。ここも修正しましょう。全ての人とは言いません。二元的な世界は拡張を続け、そのパラダイムから降りるという選択をする人はまだ限られているからです。しかしそのパラダイムにとどまる以上、時間は加速し、正義が理解不能になり、ストレスが肥大化するのは確定しています。しかし、ひとたびそのマインドをリセットして鍬や鎌を持とうとするならば世界は広がります。言葉を注意し、共通言語を育てましょう。他責にならない。助け合う。むしろgiver、積極的与える人になることで世界が好転することは間違いないからです。
なぜ好転するか、それは第一回目に書いたように、すでに人類は生物として75%は成功(という言葉が正しいのかは?ですが)していて、その世界を享受できるからです。そして農を業にこだわらなければ、自分の体験上、これ以上に豊かなことはないからです。週末に非日常を求め日常を殺して生きるより、日々の自分が手塩にかけた一杯のご飯、お味噌汁、はしはしに目が行き届く生活は小さいながらも瞬間瞬間悦を得られることになり、それが積もっていけば、非日常も日常も境がなくなり、それこそワンネス、全てが一つになるという悲願が成就するのではないでしょうか!!
話しがエスカレートしましたが、もちろん残り25%はストレス、あるいは苦悩があります。現代のパライムではその残り25%をことさら悲劇と捉えて無限に拡張しますが、新たな世界観は75%の恩恵を豊かだと拡張します。
鍬と鎌を持たなくても十分に稼ぐことができる人、あるいはそこに人生の生きがいを感じている人で同じような考えを持っている方は、是非自分の田舎を作ってください。私たち福やハナムスビもあなたの田舎になります。いざ何かあったときに頼れる田舎。共に土に触れて汗流したり、生産物を購入していただいたり、もちつもたれつな関係をつくっていきましょう。超個人主義は終わって、個性を大切にしながらも助け合う、そんな青臭いところに、純粋に戻っていくことこそ未来があるのではないでしょうか。

さあ時代は変化しています。25%の不完全に心を沈ませていがみ合う世界に生きるか、生物的に75%の成功を達した今、先祖様に感謝して愉しく生きるか、、、そのためには身体を使って働くことになりますが、全然何てことないことだけは最後に書き留めておきます。一度面倒くさいになると、多くのことができなくなっていしまいますが、それでもあらゆる生物との公平性からみると格段に楽をさせてもらっています。
それ以上に愉しく心豊かな生活をおくれることは自分の体験をもって保証します。そして田舎同士もつながって共通言語を醸成していきましょう。
未来は明るいではないですよ。もうすでに明るいのに見ようとしていないだけですから!